キングダムと中国の歴史!史実を解説!

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原泰久氏の人気漫画『キングダム』や始皇帝と大兵馬俑展と、中国史好きにはたまらないホットな話題が続くこの頃。
中国史にもっと詳しくなりたいと思う人も多いでしょう。

 

特に、それが自分が思い入れがある漫画の登場人物だとしたらなおさらです。

 

『キングダム』の主人公、は史実にも登場する李信(りしん)という武将がモデルとなっています。
一方、嬴政(えいせい)はご存知始皇帝の若かりし日の姿として描かれています。

物語では李信は貧民の子であり贏政に目をつけられたことで武将としての道を歩み始めます。

 
嬴政も人間不信からくる超人的な能力や性格の持ち主として描かれています。

 

では、史実での彼らは一体どういう活躍をしたのでしょうか?

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キングダムと中国の歴史

春秋戦国時代を記す歴史書は、一番に司馬遷が編纂した『史記』が挙げられます。
『史記』は王朝公認の歴史書である正史(せいし)の先駆けと言われるものです。

 

 

春秋戦国時代を知るには、まず『史記』から入るのが王道と言えるでしょう。
(横山光輝氏の漫画『史記』やちくま学芸文庫の訳本もありますので、興味があればそちらも読んでみてください)。

 

嬴政こと後の始皇帝は中華帝国最初の皇帝として、個別に伝記が設けられています。

 

 

それによれば、彼は紀元前259年、今から2000年以上も前に趙の国で人質の子として生まれました。
彼が3歳の時、父と呂不韋が彼と母を残して先に趙を脱出してしまったために人質として取り残されてしまいます。

 

 

それから数年後、父が秦王となると彼は王子として秦に帰国します。
父が死ぬと彼は僅か13歳で秦王となり、戦国七雄の争いに巻き込まれていくのです。

 

漫画では李信と出会うのはこの頃ですが、李信は一体何をしていたのでしょうか?

 

実は、李信は個別に伝記を設けられておらず、正体がよくわからない謎の人物なのです。

 
彼の行動を追うには、他の人物の列伝を追いかけながら僅かばかりの記述をつなぎ合わせるしかありません。

 

嬴政が秦王となった時点で、李信の名前はまだ一度も出て来ません。

 
現在、『キングダム』は呂不韋の反乱までが描かれていますが、李信はこの時点でも何をしていたのかよくわかっていないのです。

呂不韋が失脚し、ようやく贏政が親政を始めた時もまだ李信の名は見当たりません。

 

秦はまず戦国七雄の最弱国・韓を滅ぼします。
次に攻めるのは贏政にとっては忌々しい思い出のある趙です。

 

 

李信が歴史上初めて名を表すのは、この趙討伐の時です。
彼はベテランの王翦(オウセン)が数十万の大軍を率いて趙と対峙している間、別動隊として北の太原、雲中を攻めていました。

 

 

この行動の他には李信に関する記述は一切ありません。

詳しくは、こちらの動画をご覧ください。
全体像がよくわかりますよ^^

 

キングダムと中国の史実

かくして趙を滅ぼした嬴政(えいせい)は昔恨みを持っていた者たちを皆生き埋めにしてしまいます。
それから現在の北京を都とする燕を攻める際、李信も1000の兵を率いて討伐に貢献します。

 

この時も、それ以上の記述はありません。

 

燕との戦いが始まる前、嬴政は燕が放った刺客によって暗殺されかけますが、自ら剣を振るって刺客を返り討ちにしてしまいます。

 

この暗殺未遂事件は、自分の命を危険に晒した反面燕を滅ぼす口実を手に入れたとして嬴政が喜んだというエピソードとして有名です。

 

 

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燕を滅ぼした翌年、嬴政は東の大国・楚に対し大規模な戦を仕掛けようとします。
その時に李信と王翦に対しそれぞれの意見を求めました。

 

 

「20万の兵を率いれば十分でしょう。」という李信に対し、王翦は「いや、楚を侮るな。60万は必要だ。」と反論します。
60万といえば当時の秦のほぼ全兵力です。

 

嬴政は結局気鋭な李信の意見を受け入れて彼を大将に任命した。

 

 

李信は当初こそ優勢でしたが、楚の名将・項燕率いる軍の奮戦によって大敗してしまいます。
そこで李信は大将から外され、代わって就任した王翦が楚を滅ぼしてしまいます。

 

 

実は、この負け戦が李信に関して史実で最も詳しい記述なのです。

 

こちらは読まれましたか?
キングダム

 

ここでは李信は老練な王翦に比べて若き将として描かれていますが、実際の年齢はよくわかりません。f9b7ee08165360f3c4c9a9014c85b89c_s
これより前に魏は滅び、残るは遼東に逃れた燕と斉です。

李信はこの燕・斉討伐に平凡に参加しました。

 

紀元前221年、ついに秦は中国大陸を統一したのです。

 
こうして絶対の君主となった嬴政は王を超える名号、つまり「皇帝」を制定し『始皇帝』となるのです。

 

 

その後始皇帝は不老長寿の願望を叶えるために次第におかしくなっていってしまいました。

 

簡単な裁判さえも皇帝である自分がわざわざ筆を執って採決するほどの人間不信とワーカーホリックっぷりをみせます。
そしてついに不老長寿を叶えることなくこの世を去ってしまうのです。

 

その後、秦は二世皇帝の暴政によって不満を買い、項羽や劉邦といった英雄達によって滅ぼされてしまいました。

では、その時李信は始皇帝の天下統一後から滅亡まで一体何をしていたのでしょうか?

 
答えは、「記述が一切なくよくわからない」です。

天下統一を機に李信の記述は全くなくなるのです。

 

ただ、彼らの時代から100年ほど後の漢の武帝の時代に活躍した李広、李陵らは李信の子孫であるとされています。

また、彼らの時代から800年も後の唐の皇族李氏も李信の子孫を自称しています。

 

 

ですが、彼らの系譜はそもそも出典もわからず信憑性は殆どありません。
李信については結局謎が謎を呼ぶままなのです。

 

キングダムと中国を解説

一方、嬴政の子孫の存在も後世に全く持って伝わっていません。
『史記』には、項羽が咸陽を落とした際に皆殺しにされたと記されてはいます。

ただ、実際は項羽がそこまでの仕打ちをしたのかさえも諸説あります。
いずれにせよ、始皇帝の血脈は後世に伝わってないようです。

 

謎とロマンに満ちていますね。

 

 

いかがだったでしょうか?
漫画で活躍している武将達も、史実では全く別の人格や役割だったりします。

 

歴史漫画を読む時には、そうした物語とのギャップを意識してみるとより深く楽しめるようになるのかもしれませんね^^

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